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大阪ハーフマラソン

1月28日(土) 妹家族が早朝に到着した。なんとか部屋の片付けは完了していた。すぐに子ども達は出てくるのだが、あれっ???息子の調子がよくない。微熱があるみたいだ。まさか今、流行っているインフルエンザ!?家族誰もかかったことが無いし、ましてや幼稚園から一度も休んだことがない息子に限って。まあ、妹家族がきているので、マスクをさせた。そして、お昼は、近くの寿司屋へ。息子は留守番。夜になると、ちょっと調子がよくなったみたいだ。ちょっと心配だったけど、安心した。私は明日、大阪ハーフマラソンなので、22時くらいからアルコールは控え、早めに寝ることにした。

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1月29日(日) とうとう大阪ハーフマラソンだ。制限タイム2時間。自分的には一生懸命走らないといけないタイム。他のハーフマラソンの大会に比べて、だいぶんキツイ、、、。この制限タイムは仕方ない。というのは、同時開催で、オリンピック選考大会でもある大阪国際女子マラソンがあるからだ。大阪ハーフマラソンと大阪国際女子マラソンは同時刻スタートで、大阪ハーフマラソンは大阪城から南下して長居競技場でゴール。大阪国際女子マラソンは、長居競技場をスタートし北上し大阪城で南下し長居競技場でゴール。なので、大阪国際女子マラソンのトップがゴールする前に、ハーフマラソンを終わらせなくてはいけないのであった。

自分が走ったコースの後に、オリンピックを掛けたレースの選手達が通るのだ。それも、南下する私たちと北上する選手達が間近に見れるという特典もあるのだ。

そりゃあ、嬉しい感じであるが、私はこのハーフマラソンを娘の合格祈願にしているのだ。ものすごいプレッシャーである。それも昨年の完走率は7割。制限タイムがきついので、女子の参加者が5000人中700人くらい。でも、ぜったい完走して見せるぞ!

地元大阪開催なので、ゆっくり朝を過ごせた。めっちゃ有難い。寒いのは覚悟していたが、少し雪がぱらついたこともあったが、風も強くなく、まずまずの気候。トイレはすごく並んでいたが、会場前の公衆トイレはがら空きだった。みんな知らないの?でも、少しでも早くスタートしたいので、早めに並んだ。これだったら、ロスタイムは少なくいける。選考レースが走るので、仮装や変な服装は禁止なので、真面目な雰囲気が漂っていた。

前置きはこれくらいにして、12時10分にスタート!1分かからないうちにスタートラインを通過。それほどロスタイムにならずにホッ。いつものレースよりみんな早くから飛ばしている。走ってすぐにトイレがあった。妹が行こうというので、慌ててトイレへ。ぜんぜん空いていた。そして心は焦っているので、トイレでまごついて出た。待っているはずの妹がいない。まだトイレかなと声を掛けても返事がない。えっ、先に行っちゃったの?後続のランナーが、目の前を加速しながら走っていく。焦った私は、妹は先に行ったということで、1人で走り出した。2時間を切るのは余裕の妹に、前半は付いて行こうという作戦がもろくも崩れた。妹がいなくても大丈夫。大丈夫。

最初の5kmはトイレに行ったロスがあったし、最初の3kmくらいまでランナーで混雑していたので、思った時間ではなかった。そのロス分を考えるとまあまあなタイム。そして、次の5kmは、人もバラけて走りやすくなったので、もう少し加速しなくては。走って8kmくらいになったころか、とうとう北上する大阪国際女子マラソンの先頭とすれ違う。すごい早い。福士選手がトップで走っていた。思わず福士選手めがけて「ガンバレ!」と叫んだ。私も頑張るよ。10kmを通過、まずまずのタイム。この調子で行けば、ゴールできる!それからしばらくして、えっ、右足首に異変を感じる。悪くなりそうな異変。これはヤバイ。綺麗な体勢で走るように心掛ける。最近は異変を感じたら、綺麗な体勢で走るのを心掛けて、走りながら治すのだ。

でも、綺麗に走っていても、異変がだんだん痛みを伴ってくる。ヤバイ。本当にヤバイ。でも、私は娘のためにも完走しなくてはいけないのだ。15kmを過ぎた。やはりペースダウンしていた。このままペースダウンしたら、ゴールはムリ。右足首が痛みがだんだん強くなる。ここらへんから、自分がよく知っている道になってくる。本来なら知っている道を走るので、ウキウキしながら走るから、後半も維持できると思っていたが、足の痛さに、まったく楽しめる状態ではなく、逆に道を知っているので、まだまだゴールまで遠いことを実感させられる。あっここで、家族が応援してくれたら、めっちゃ嬉しくて、すごい力が湧き出すだろうな。でも、本来応援に来てくれる筈の息子は熱が下がらず自宅待機。娘は13時から塾の直前講習で来れず。そして、一番冷たいのは連れ合い(夫)!夜勤あけで、今は自宅に帰っているのに、寝たいから行かないとはっきり言われた。でも、来て!と私は行った。もしかして来てくれないかな?そうしたら絶対がんばれそうな気がする。

そして、第4関門17.9kmの時には、とうとう右足が上がらなくなる。左に重心を置きながら、右足を上げる。そして、とうとうN公園に入る。いつも練習している場所。入るときに段差があり、激痛が。本当にヤバイヤバイ。ここから大勢の沿道の応援がいた。家から自転車で10分の距離なのに、連れ合い(夫)来てくれないかな?息子も急に元気になり応援に来てくれないかな?誰か知っている人がいないかな?右足が上がんない。でも猛ダッシュで走らないととてもゴールできない。女性ランナーが、1人立ち止まる。私は思わず、「ゴールはもうすぐ、最後までガンバレ」と大声で叫んでいた。まるで自分に言い聞かせていた。最後まで諦めたらいけない。娘も諦めずに今頑張っているのだ。なので、私は頑張って走りきる。あと、1kmまでやってきた。右足は限界に近かった。すると沿道から「お姉さん!」と叫ぶ声、また私に向かって「お姉さん」と。沿道を見ると、妹のダンナだった。「お姉さん」って呼ばれたのは初めてだったし、物静かなタイプで叫ぶタイプではなかったので、超ビックリした。妹を聞くと、もう10分くらい前に通過して、沿道を応援していた姪っ子甥っ子たちもお母さんを追いかけて行ったらしい。そして、妹のダンナだけが、私を待ってくれていたのだ。すごく嬉しかった。そして、最後の力を振り絞って、右足を引きずりながらも走った。

最後の関門(第5関門)20.6kmを通過した。もう1時間57分30秒を過ぎていた。あと500mで2分少々しかない。長居競技場に入り、必死でダッシュ。長居競技場を走ってるんだはって感じではない。ただゴールを目指すのみ。足を引きずって、引きずって、ゴール。

タイムは「2時間18秒」であった。

2時間切れなかった、、、。めっちゃ悔しい。悔しい。悔しい。頭の中で連呼した。たった18秒足りなかったのだ。

でも、完走表彰状を貰った。あれ?どうやら、最後の関門(第5関門)20.6kmで2時間をオーバーしたら、ダメらしく、そこを通過したら、ゴールでき、完走になるということだった。でも、嬉しくなかった。ずっと2時間を目標にしてたので、ゴールできても私のゴールではない。

観客席で妹家族と合流。妹のダンナは、私がすごく痛みを感じながら悲壮感漂いながら走っている姿を見て、思わず声を掛けたらしかった。そして、大阪国際女子マラソンのトップが帰ってきた。重友選手で、2時間23分だった。私はこの23分前にゴールしたのであった。そして、福士選手は、よれよれゆっくりしたスピードでゴールした。9位だった。もう帰りたくなった。でもこの足で2km以上の距離をどうやって帰ろうか?タクシーでも途中で止めようと思った。N駅周辺で何か食べようと思った。妹に帰るわっと、妹が止めるのを聞かずに観客席を出て行った。やっぱり悔しい。足を引きずりながら歩く。帰る途中でオープンしたばかりの松屋に行こうとしたが、メニューを見て、どれも私好みではなかった。そして、引きずりながら、家に帰った。家に帰って大好きなチキンラーメンを食べた。もちろんビールも飲んだ。美味しくなかった。娘に「ゴメン」という気持ちしかならなかった。

19時ごろに娘が塾から帰ってきた。足の異変に驚いてた。そして、会ってすぐに「お母さん頑張って走ったけど、18秒足らなかった。だから自分の力で18秒分頑張って、高校受けてや。」と。娘は何のことやらって、「???」していた。

シビラのです。追加いたしました。

 

2012年6月29日 miekotaro |


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