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加古川マラソン

12月23日(火・祝) とうとう、やってきちゃいました。練習不足なので、不安で不安。。。

無料駐車場が1,000台で、出場者が4,000人なので、余裕で大丈夫と思ったら、駐車場に入るのに、車がすごい渋滞。当り前か。。。連れ合い(夫)の運転する車をおり、妹と子供達と歩きながらスタート地点に向かう。スタートまですぐ近かった。周りはウォーミングアップをしていた。もっと早めに来たらよかった。更衣室は狭く混んでいて、テントが張っているだけなので、下は泥土。。。今までマラソンは、笹山マラソン、河口湖マラソンしかしらないので、こういうパターンは初めてだった。もっと事前に情報を入手すべきだったと反省。

そして、オープニングイベントはあったのかもしれないが、いきなりスタート。ドキドキしながら、走り始める。やはり、周りはスタートは早い。全く練習せずに出場している妹も早い。いつもは15km過ぎまで一緒に走ったりするが、早々と自分のペースで走ることにした。折り返し地点が2箇所あり、前に走っている人と交差するが、元勉強仲間Kちゃんと声を掛け合ったり、妹と声を掛け合ったりして、勇気をもらった。

10km過ぎに早くも心配のタネであった左ひざの痛みが出てきた。でも、なんとか予想以上のペース配分で走っていた。17kmくらいからとうとう疲れが出てきた。完全に練習不足だった。まだ半分も来てないのに、果たしてゴールできるのだろうか?気が遠くなってきた。20kmも目標タイムを上回っていた。しかしドッと、体のあちらこちらから、危険信号が出ている。なんで、また走ってしまったんだろ。。。こんな苦しい思いをして、走らないといけないのか?自分を責め続けた。そしたら、Kちゃんに声をかけられた!勇気が出た。でも、また勇気が消沈していたら、「姉ちゃん!」っと、折り返しで交差した妹が大声で呼びかけてくれた。全く練習していない妹は4時間ペースで走っているペースメーカーさんと一緒に走っていた。まだまだ元気そうだ。うらやましい。でもまた勇気をもらった。折り返しする手前で連れ合いから電話。応援に行きたいけど、車が渋滞で今どこあたりかと聞く。声カラガラ自分の位置と妹のことを話す。そして、25kmくらいで子供達が沿道に応援に来てくれていた。いつもそんなことは嫌がる娘が抱きついてくれた。息子、姪っ子、甥っ子達と抱き合いながら、走りを続行。ものすごい勇気をもらった。しかし、25kmからとうとう孤独との戦いであった。

マラソンを走っているとき、ジョギングをしているとき、私は「無」の状態になる。決して音楽を聴きながら走らない。頭がからっぽになって、「無」になって、孤独との戦い。苦しいときほど、人との、友との、家族との有難みを実感する。特にマラソンは、それにプラスして、「限界」との戦いであった。そのつらさは2度の出産と同じくらいつらいものである。私は生れて今まで「苦労」という経験がない。それは、周りがそういう風な環境してくれたおかげで、本当に自分は「甘ちゃん」なのである。ハーフマラソンを走った時は感じなかったが、フルマラソンを走った時、「限界」を超えるすごさを感じまくった。自分の限界を知り、それを超えること。それが私のフルマラソンの魅力であった。なので、ついつい挑戦してしまうのである。

30kmを過ぎると体全体の痛さはまったく感じない状態になったが、足が曲がらず、足をあげて走ることが難になってきた。とうとう限界がやってきた。沿道から「がんばれ!」「ファイト!」という声援。声援を送ってくれる方たちに私は自然と「ありがとう」と言い、頭を下げる。いつも限界になると自然にそうなる。すごくその声援に敏感になり、ものすごい励ましになり、すごく勇気になる。本当に感謝でいっぱいになる。もうペースは、ものすごく遅くなっていた。体力なんて全く残ってない。2.5kmごとに給水ポイントがあり、そこで足を屈伸したり、マッサージして2.5km走り、また給水ポイントで足を屈伸し。。。を繰り返す。

35kmを過ぎると風が向かい風になり、走っても走っても前に進まない。でも、声援をくれる人たちに「ありがとう」「ありがとう」もう何百回言っただろうか。その声援が「あと少し!」「あと5km!」「あともう少し!」「あと3km!」「あと2km!」と、頑張れ、ファイトの後に、カウントダウンを言ってくれる。もう「限界」を超えていた。足を引きずりながら、決して歩かず、びっくりするくらい足があがらないが、でも走り続ける。声援が心に沁みる。小田さんがコンサートの時、ファンの声援に対して、このように心に沁みているのではないか。だからあんなふうに感じてくれているような「ありがとう!」って発しているのではないかって。

頭は空っぽ、体は硬直状態、何に突き動かされているのかわからないが、ほんの少しずつ、ほんの少しずつ、前へとボロボロになりながら突き進んでいく。。。

そして、やっとあと1kmの表示が。今までは1kmごとに表示があったが、1kmを切ってから100mごとに表示がある。あと900m、あと800m、いつもならすぐに走れる100mがなかなか来ない。でもあともう少しでゴールである。ゴールしたら家族が待ってくれている!ただそれだけを思い、走り続ける。あと200mのところで、子供達と姪っ子が待っていた。ものすごく嬉しかった。またみんなと抱き合い、まったく動かなかった足が急に上がり始め、最後の200mを子供達と一緒に走ってゴールした。また感動をもらった。何とも言えない充実感を感じた。

公式タイムは4時間40分で、スタートのロスを入れると4時間40分を切れたくらいである。3か月のそれも週1、2度の練習でここまで走れたから良しとしないといけないと思う。本当はもうちょっと早く走りたかったが。。。妹は私に最後に声をかけてから失速したそうである。あれほど差があいていたのに、ゴールは6分差であった。妹はまったく練習をしなかったので、当たり前でもあった。でも、練習ゼロで完走なんてすごすぎる!!!妹も全く足が動かず、走っているのに、歩いている人に抜かされるほどの走りだったが、私と同じく子供達がゴール前に応援に来てくれていて、そしたら自然と全速力で走れたそうである。そして、今度はちゃんと練習するということであった。

帰りは、お兄ちゃん宅へ。途中、コンビニ(セブンイレブン)でビールとおでんを調達した。コンビニでおでんを買うのは初めてだったが、体が凍えきっていたので、美味しく感じた。もちろんビールも美味かった。お兄ちゃんたちとスーパー温泉に行って、お兄ちゃん宅で晩御飯のごちそうを頂いた。でも、あまりお兄ちゃんと会話しなかったな。いつものことだが。。。なんせ兄とは11歳離れておりますので。

マラソンの帰りにかぶったシビラの帽子です。 akabodaboushi1.JPG

2009年1月10日 miekotaro |

またUSJ

12月21日(日) 子供達、妹&その子供達、娘の友達とUSJに行きました。娘とその友達とは夏くらいから一緒に行こうと約束したのですが、うまくスケジュールがあわなくて、やっと今日実現しました。私は付き添いとして、同行。一応、年間PASSは持っているのですが、テーマパークが大嫌いなので、行っても子供達がアトラクションに行っている間、レストランでビールを飲んで休憩するパターン。ビールが飲めるからUSJは大好きです。(ビールが飲めない東京ディズニーランドはめちゃくちゃ大苦手です。。。私には夢の国ではなく苦痛な国です。。。ディズニーファンの方きついこと書いてスミマセン。。。)今回もそのようなパターンで、ほとんどレストランの中で、ビールを飲みながら、パソコン持参で更新が遅れているブログをひたすら作っておりました。他は、来週のクリスマスの日に子供達が友達を呼んで、クリスマス会を開催するので、そのビンゴ大会のプレゼント商品を買いに行ったりする位で、すごくのんびりおりました。昼から雨も降ってきたし。USJはクリスマス一色でした。

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子供達は20時くらいまでアトラクションに入りまくり、まあまあの混雑の中、けっこう見れたようです。そして、帰りは連れ合い(夫)がアッシーとしてやってきて、帰りに子供達の希望で回転寿司のスシローで食べて、帰宅しました。

その日使用したシビラのマフラーです。 bodamafura1.JPG

2009年1月 9日 miekotaro |

高校クラブの忘年会

12月19日(金) 高校のクラブの同窓会である。ほんまに男女とも仲が良く、年に3,4回は集まっている。男性7名、女性11名の同期の部員である。半分近くは東京など離れてしまったが、いつも半分は集まる。いつも外で食べるのだが、西心斎橋でアロマテラピー・リフレクソロジー・フラワーエッセンスで起業しているFちゃんの自宅兼オフィスですき焼き大会であった。すき焼きの牛肉は、検疫所で勤めているSのお勧めの秋吉台高原牛であった。安く手に入ったそうだが、めちゃうまかった。

食事後、キャプテンのUが高校時代からのスナップ写真などを編集して作った思い出のDVDを見て、高校1年の時の自分の初々しさにビックリ!と恥ずかしさがあった。20代に入ったら、私の写真は酔っ払いの写真のみであった。。。キャーキャーみんなと騒ぎながらDVDを鑑賞。すごく懐かしく感じた。そして、いつもラウンドのケーキを食べるのだが、今回はヴィタメールのケーキであった。

ワイワイがやがや過ごしていたら、もう夜中の1時半であった。車で来ているU(お酒は一滴もダメなので、運転はOKなので、便利である。)が送ってくれた。さすがにまったく電話を掛ける事がない連れ合い(夫)が迎えに行かなくてもいいのか?って電話をかけてきた。2日連続夜中までの飲み会は楽しいものである。

その日着ていたシビラの服です。緑字大花パープルスカート緑系ボレロジャケットとにコーディネートを追加しました。 200812191.JPG

2009年1月 8日 miekotaro |

相棒最後の出勤日

12月18日(木) とうとう、相棒である同僚の最後の出勤日(有休を使うので、退職日は12月31日ですが。)。引き継ぎで最後までドタバタって感じで、本当にフル稼働をしてもらいました。
そして、花束と同僚たちからはポンテベッキオのネックレス。私からはシビラのワンピースをプレゼントしました。

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aiboonep5.JPGこのワンピにしたのは、花嫁っぽい感じでしょ。
実を言うと、12月に家に同僚たちが遊びに来た際、私のクローゼットにこちらの商品を出して、飾っていたのです。それも他のワンピに混ざりまくって。どうして入れたかは、別の同僚がそのワンピに合うネックレスを買いたいと思ってたので、(結局ポンテベッキオのネックレスになりました。)こっそり飾っていたのですが、この相棒の同僚はワンピの中から偶然にもこのワンピを取りだし、「欲しい」って言ったんです。めちゃびっくりしました。なので、同僚にとって運命のワンピになってでしょうか?

そして、夜は同僚の希望で、ラペティ・ロアラブッシュで送別会でした。半年前もボーナスでたので、予約しようと思ったら、満員で×で、今回は早めに連絡したので予約できましたが、満員でした。そうでなのか、ゆっくりコース料理が出てきて、一品目はなんと1時間後でした。。。なので、それまでの時間はアルコールを飲み、結局ワイワイとみんなと話しまくって、飲みまくって、気品あるお店なのに、居酒屋化してしまいました。でも本当に楽しかった。相棒の同僚もいい思い出になったかな?ほんま幸せになるんやで!!!

結局、走って最終ギリギリの電車で帰りました。。。みんなも最終電車を止めてもらって本当にギリギリだったみたいです。。。ほっ。

この日着ていたシビラのワンピースセットとコートです。 20081218.JPG 20081218_2.JPG

2009年1月 8日 miekotaro |


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